人種差別が色濃く残る1960年代のアメリカ南部を舞台に、黒人ジャズピアニストとイタリア系白人運転手の2人が旅を続けるなかで友情を深めていく姿を、実話をもとに描き、第91回アカデミー作品賞を受賞したドラマ。
素晴らしい作品でいした。昨日の語り合いでの感想です。
①何故、ドクターシャーリは、3倍もの給与で皆さんの尊敬をうける演奏ではなく
南(差別、不当な扱い)に向かったのか?
→仮説1.南の黒人にも、自分の演奏やふるまいを見せて、尊厳を持つ一人の人間として
黒人差別の不当さを訴えたかった。(社会課題に真正面から闘う立ち位置)
印象場面 :南部の綿をつくる農夫(黒人) が
『白人であるトニーに車の修理をさせている間。車にもたれて
のんびり立つシャーリー』を不思議そうに観る
→仮説2 自分のアイデンティティ を確かめる(信じきる)旅。
映画場面 例
『ドクターシャーリーが
トニーが警官から侮辱、バカにされて警官を殴ったことをなじった時』
トニー「俺は自分をしっている。家族の為にはたらいている
あんたより黒人しっている。あんたは、城のテッペンに
暮らして、金持ち相手の演奏しているんだ」
シャーリー (琴線に触れる)
「金持ちは教養人と思われたくて私のピアノをきく。
それ以外はただの二ガー(黒人の蔑称、スラング)
として扱われる。白人社会のその蔑視を私は1人耐えている。
はぐれ黒人だから。。」
他の白人(バンド)から、『シャーリは「勇気」を持ちたかった。だから
南へ演奏旅行にいくと決めた』 と。
また、シャーリーは上流階級の方々に紹介するのに、
トニー・バレロンガの名前が呼びづらいため、
トニー・バレと呼ぶよう、提案したが、拒否。
さらに、
トニー・リップなら? →品がない
なら、変えない。
トニーはイタリア移民をバカにされた時もそうだが、
かれには、自分の『アイデンティティ』を強く持っていた。
これは、シャーリーと根幹ともつながる共通点であったと思う。
黒人差別に立ち向かう、また、条件なし(財産や地位、学位、教養他)に自分の
アイデンティティを証明するために、『勇気もって生きたかった』。
この証をするための旅であると感じました。
その「勇気」は、トニーとの旅で自然に影響をうけていた。
★ トニーがさみしかったら兄にも手紙を自分から書きなよ。
このくだりから、最後は、トニーのクリスマスホームパーティに自ら
尋ねて、迎え入れたシーンに繋がった
②トニーとシャーリーの関係性、互いに影響を受けていた。
★トニーもシャーリーに影響を受けていた。
・買収や暴力を使わずに向き合おうとする。
・一人の人間として認め合う
・誌的な文章で手紙を書く。
★シャーリーもトニーの影響を受けていた。
・今まで庶民(黒人)が食べなかったケンタッキーチキンを食べる。
車外に放り投げる。
・トニーのクリスマスパーティに勇気をもって参加する
・衣を外す(黒人バーでジャズやポップを楽しそうに弾く)
一般にダイバーシティ(多様性を活かす)の研究はいろいろ言われているが、
「デモクラフィ―な属性」よりも「タスク(能力・仕事)型の属性」
のほうがダイバーシティは進むという研究もあるようだ。
トニーの家族を大切にすること、問題解決、でたらめさ(交渉)、
シャーリーの品性・教養・ピアノ など
互いの強み・特性がこの8週間の二人の旅を援け、友情を生むなど
互いの関係が変わっていったと思います。
最後に、
私が一番好きだったのは、トニーの奥さん、『ドロレス』
元々ありのままの人(トニー)を好きだったし、黒人も白人ももともと
差別意識のかけらもなかった。
ドロレス最高!!
2025.02.04 坂田淳
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